「絶えず祈りなさい」

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『祈りの最後の言葉 アーメン』  2009年5月24日(日)

1、自分の願いへの確信
 

「アーメンとは、それが真実であり確実である、ということです。」(ハイデルベルク信仰問答 問129)
 
この「アーメン」という最後の言葉によって、祈りにおける強い確信を言い表しています。まず、その確信は、自分の願いについての確信です。偽善者は人に見せたり聞かせたりするために祈ります。しかし、私たちはただ神に祈らなければなりません。その願いは人に聞かせたり、人に取り入ったりするためのものではなく、幼子のような率直さや真実をもって祈るものでなければなりません。そうでなくては、最後の「アーメン」が偽りになります。
そのためにも、人の目から離れた密室の祈りは重要です。そこで、人には聞かせたくない祈りや、聞いてもらえない数々の祈りを、神の御前に注ぎ出す必要があります。
 
「民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。」(詩編62:9)
 
詩編には、そのような心を注ぎだした祈りがあふれています。このような隠された祈りを通して自分の願いを聖(きよ)めていただいてこそ、ますます自分の願いに確信をもって「アーメン」と祈れることでしょう。

 

2、聞かれる確信

 祈りは曖昧なものではありません。
御心にかなう祈りは聞かれます。
 
「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対するわたしたちの確信です。」(第一ヨハネ5:14)
 
祈りの言葉において神の御心を求めるのみならず、その生活においても神の御心を追い求めながら、祈らなければなりません。
 
「主は逆らう者のいけにえをいとい、正しい人の祈りを喜び迎えられる。」(箴言15:8)
 
そのように、神の御心に依り頼んでささげられる祈りは、聞かれます。神の御心にかなっているなら、まったく実現の道筋が見えなくても、「アーメン」です。むしろ、実現の道筋が見えないにもかかわらず、御言葉においてはっきりと示されている御心に従って祈るとき、祈りの最後の「アーメン」は神の栄光への賛美となります。望みえないときに望みを抱いて神を信じて、神に栄光を帰しているからです。
 また、この「アーメン」は、私たちの思いを越えて、その祈りが聞かれるという信仰をも言い表しています。ハイデルベルク信仰問答は、こう教えます。
 
「わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれている・・・」(問129)
 
だから、私たちは「アーメン」と祈るのです。
 
 「彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。」(イザヤ65:24)
 
「神の約束は、ことごとくこの方において『然り』となったからです。
それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して『アーメン』と唱えます。」(第二コリント1:20)