日本キリスト改革派札幌教会

第100問

問100 主の祈りの序言は、私たちに何を教えていますか。


答 「天にまします我らの父よ」という主の祈りの序言が私たちに教えている事は、私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づくこと、また、私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということです。

「私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づくこと 」


 神はすべての人々から遠く離れてはおられません。(使徒17:27)
しかし、すべての人々に対して、「父に対する子のように近づくこと」を許しておられるわけではありません。神の霊によって導かれる人々のみが、「アッバ、父よ」と親しく神の御名を呼んで、「父に対する子のように」近づきます。(ローマ8:14-15)そして、父からすべてを受け継ぐ子のように、すべての良い物を与えていただきます。そして、さらにそこにとどまることなく、聖霊を与えられて、ますます「父に対する子のように」近づきます。(ルカ11:13)

「私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということ」


 神は、神の霊に導かれる人々にとって「私の父」ですが、それ以上に「我らの父」です。主は、弟子たちに「我らの父よ」と呼ぶように教えてくださいました。たとえ一人で祈る時にも、私だけの父ではありません。「我らの父」です。他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならないことが、ここに教えられています。

「教会では彼(投獄されたペトロ)のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(使徒12:5)

「そこで、まず第一に勧めます。
願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
(教会を迫害する)王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」(第一テモテ2:1-2)

第101問

問101 第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。


答 「願わくは、御名をあがめさせたまえ」という第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです。

「神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように」


  まず第一に「御名をあがめさせたまえ」と祈らなければならないのは、自分自身とすべての人々が正しく御名をあがめることにおいて、無気力、無能力だからです。

「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。」(ローマ3:10-12)

そして、神が、そのような私たちに、正しく神をあがめる力と思いを授けてくださるように祈り求めています。

「神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。」(詩編62:2-3)

「神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように」

  この世は、無神論、神についての無知、偶像崇拝、神への冒とくなど、神の御名に反抗するような事柄に満たされています。しかし、この第一の祈願によって、それらのすべての事を、神が御自身の栄光にふさわしく導き、処理してくださるように求めています。

「神よ、沈黙しないでください。黙していないでください。静まっていないでください。御覧ください。敵が騒ぎ立っています。あなたを憎む者は頭を上げています。・・・彼らが悟りますように。あなたの御名は主、ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを。」(詩編83編)

第102問−1

問102 第二の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。


答 「御国(みくに)を来たらせたまえ」という第二の祈願で私たちが祈る事は、サタンの王国を滅ぼしてくださるように、恵みの王国を進展させ、私たち自身と他の人々をそこに入れ、その中に守ってくださるように、また栄光の王国を早く来たらせてくださるように、ということです。」

「サタンの王国を滅ぼしてくださるように」


 神がすべてのものご支配なさっておられます。
サタンさえ、神のお許しがなければ、何もできません。(ヨブ1:12、2:6)また、サタンの運命も主によって定められています。(黙示録12:12、20:7-10)しかし、その上で、主イエスはご自身を捕らえに来た者たちにこう言われました。「今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」(ルカ22:53)また、使徒の務めの目的は、「サタンの支配から神に立ち帰らせる」ためであると、言われました。(使徒26:18)サタンの運命も敗北も定まっていますが、今は霊的な戦いのときです。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」です。(エフェソ6:12)御国の到来を祈り求める者は、「サタンの王国を滅ぼしてくださるように」祈り求めています。「神は立ち上がり、敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去る。」(詩編68:2)
 また、主を信じる者が存在するということが、サタンの王国が滅ぼされつつあることを示しています。

「主よ、神よ、あなたは高い天に上り、人々をとりことし、人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。」(詩編68:19)

「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」(コロサイ1:13)

第102問−2

「恵みの王国を進展させ」



「サタンの王国」は、昼も夜も我々の神の御前で、キリストを信じる者たちを告発する者の王国です。(黙示録12:10)それに対して、「恵みの王国」は、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるキリストの王国です。(ローマ8:34)

 天において、「恵みの王国」は確立されました。
もはや神の御前に、サタンがキリストに結ばれた者たちを告発して、入り込む余地はなくなりました。

「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が投げ落とされたからである。」(黙示録12:10)

「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(ローマ8:33-34)


地において、この「恵みの王国」は福音宣教によって進展します。

「兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼(訴える者・サタン)に打ち勝った。」(黙示録12:11)

主の恵みを告げる御言葉は、人々から遠く離れたところにあるわけではありません。

「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」(ローマ10:8)

「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば」とか、
「海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば」と言うに及ばないものです。(申命記30:12、13)しかし、その一方で聞いても信じられず、宣べ伝えることも信じることも恵みであり、すべてが恵みです。(ローマ10:16、イザヤ53:1)「御国(みくに)を来たらせたまえ」と祈る者は、主がただ恵みによって私たちに福音を宣教させ、「恵みの王国を進展させてくださるように」求めているのです。

第102問−3

問102 第二の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。


答 「御国(みくに)を来たらせたまえ」という第二の祈願で私たちが祈る事は、サタンの王国を滅ぼしてくださるように、恵みの王国を進展させ、私たち自身と他の人々をそこに入れ、その中に守ってくださるように、また栄光の王国を早く来たらせてくださるように、ということです。」 

「栄光の王国を早く来たらせてくださるように」


 栄光の王国は、神の栄光に輝く王国です。
「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。」(黙示録21:23)
 その王国の建設は、はじめから終りまで神の御業です。それは、
「神が設計者であり、建設者である堅固な土台を持つ都」です。(ヘブライ11:10)その王国の到来について、神が約束なさり、神が実現なさいます。(ローマ4:21)その王国の民は、「大地の砂粒のように」「星」のように数えきれないほど多くの人々です。(創世記13:16、15:5)彼らは、アブラハムと同じ信仰によって生きる人々であり、それゆえにアブラハムの子孫と呼ばれます。
「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。」(ガラテヤ3:7)
アブラハムの信仰とは、「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じる」信仰です。(ローマ4:18)また、「神は約束したことを実現させる力をお持ちの方だと、確信する」信仰です。(ローマ4:21)さらに、「人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じる」信仰です。(ヘブライ11:19)彼は、この信仰によって、自分に与えられる一人の子孫であるキリストにすべての望みをかけて満ち足りて死にました。(創世記22:18、25:7-8、ガラテヤ3:16)

 「栄光の王国」は、信仰によって受け継ぐべきものです。(ローマ4:13)
それゆえ、ただ祈り求めるほかにありません。御国の到来は、主の言葉を宣教しつつ求めるべきものですが、その宣教さえも祈り求めるしかないものです。(テサロニケ第二3:1、ローマ10:1、ヨハネ17:9、20)まさしく、神が設計し、約束し、建設し、実現なさる国です。そして、その国に永遠に住む者たちもまた、神によって新たに生れた者であり、新たに創造された者たちです。(ヨハネ1:12、ガラテヤ6:15)