『ウエストミンスター小教理問答 第38問』

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『ウエストミンスター小教理問答 第38問』

『ウエストミンスター小教理問答 第38問』 2013年9月8日

問38 信者は、復活の時、キリストからどんな祝福を受けますか。

答  信者は、復活の時、栄光あるものによみがえらせられて、審判の日に、公に受け入れられ無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます。


 死の日の祝福、復活の栄光

  死の陰を光で覆ってしまうほどの栄光。それが復活の栄光です。

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(第一コリント15:54-55)

わたしたちが今、いかに罪と弱さの中にあるにせよ、復活の栄光を信じます。

「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。」(第一コリント15:44)

「蒔(ま)かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。」(第一コリント14:43)


「死の日と終わりの復活に日を喜ばしく待ち望む者でなければ、キリストの学校において堅実に進歩することはない。・・・聖書は確固たる喜びの論拠を示そうとする時は、いつも我々をこの点に呼び返すことにしている。」(キリスト教綱要第3編9章5節)


 永遠に、全く神を喜ぶ


  聖書が約束する究極の喜びは、「永遠に、全く神を喜ぶ」ことです。これこそ完全な祝福です。主を愛する者たちは、主と共にいることを何よりも熱望していました。使徒パウロはこう告白します。

「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」(フィリピ1:24) 

詩編の信仰者も告白します。

「わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが、神はとこしえにわたしの心の岩、わたしに与えられた分。・・・わたしは神に近くあることを幸いとし、主なる神に避けどころを置く。」(詩編73:26、28)

彼らはいろいろな試練に悩みながらも、あくまでも忍耐して、「いつまでも主と共にいることになる」時を待ち望んでいました。そして、彼らの喜びは増し加わるばかりでした。


「神に従う人の道は輝き出る光、進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。」(箴言4:8)