『ウエストミンスター小教理問答 第33問』

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『ウエストミンスター小教理問答 第33問』

『ウエストミンスター小教理問答 第33問』 2013年7月28日、2015年10月25日

問33 義認とは、何ですか。

答  義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私たちのすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しいと受け入れてくださいます。それはただ、私たちに転嫁された信仰によってだけ受けとるキリストの義のゆえです。



※義認は、プロテスタント宗教改革の中心的な教えです。
この教えによって、教会は建ちもすれば倒れもします。

「転嫁」とは、自分のものではないものを、自分のものとして負わされることです。
キリストが十字架の死と復活によって勝ち取ってくださった義を私たちのものとして負わされ、信仰によって喜んで受け取ります。



「いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」
(詩編32:1)


 神の決定

  ここから、神とのほんとうに幸いな交わりが始まります。福音をほんとうに「幸いな知らせ」として明瞭に理解しようと望むなら、ここから始めなければなりません。神に対して正しくない者を、神御自身が正しいと認めてくださる決定です。人が自分の正しさを信じていられる限りは、無用の決定です。そればかりではなく、愚かな決定とさえ思われるかもしれません。しかし、自分の正しさを挫かれた日には、この決定による以外に救いはないことを知ります。

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより、無償で義とされるのです。」(ローマ3:24-25)


 これこそ、福音理解の土台です。この土台に立つなら、どのようなことがあろうと神の愛を信じて良いのです。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。・・・」(ローマ8:35)

また、キリストを信じる者の内に住まわれる聖霊も、そのように信じて喜ぶ私たちを助けてくださいます。

「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)


 キリストの義のゆえに


  人の前での人間は、正しくもあり、悪くもあります。しかし、神に対しては、自分を認めさせるような正しさを誰も持っていません。聖書は、私たちが、神に対して持ちうる唯一の義として、十字架につけられたイエス・キリストを指し示します。


「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと・・・」(第一コリント15:3)


「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(第二コリント5:21)