『ウエストミンスター小教理問答 問106』

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『ウエストミンスター小教理問答 問106』

『ウエストミンスター小教理問答 問106』 2012年7月15日

問106 第六の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。


答 「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に、私たちを支えて助け出してくださるように、ということです。



「我らをこころみにあわせず」


 キリストにとって、舟を襲った激しい突風は、彼を試みるものではありませんでした。キリストは、舟の中で枕をして眠っておられました。(マルコ4:37)
「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」
と心から告白した人々にとっても、普通なら試みとなるべき多くのことが、試みではなかったでしょう。(ローマ8:31)
「決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」と心から語るパウロにとっては、死も、もはや試みであることを止めていました。(第二テモテ4:7)
「我(われ)らをこころみにあわせず」と願う祈りにおいて、わたしたちは神への完全な信頼を邪魔する罪の誘惑から守られるように、祈ります。

「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」(マタイ26:41)



「悪(あく)より救(すく)い出(だ)したまえ」


 試みの中でも、神を信頼し続けることが善です。神への信頼から離れてしまうことが悪です。パウロは、耐え難い一つのとげが取り去られるよう、徹底的に祈りました。結局、そのとげが取り去られることはありませんでしたが、彼の信仰は支えられ、神を離れる悪から助け出されました。

「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。」(第二コリント12:7-8)