『ハイデルベルク信仰問答 問3-5』

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『ハイデルベルク信仰問答 問3-5、8』

『ハイデルベルク信仰問答 第3-5、8問』 2012年4月22日(日)、2013年2月24日(日)

今、祈祷会で取り組んでいる福音の入門的な学びを、先週に引き続いて紹介いたします。まず8回にわたって信仰について学びました。第2回は、罪について学びました。どうか広く伝道に用いることのできる学びとして整えていくことができるようお祈りください。


問3 何によってあなたは自分の悲惨さに気づきますか。

答  神の律法によってです。


 その答えは、「神の律法によってです。」神の律法とは何か。
それは、次のように要約されます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが重要な第一の掟です。そして、これと同じように重要な第二の掟はこれです。「隣人を自分のように愛しなさい。」


 この二つの掟によって気づかされる悲惨とは、わたしたちの心の悲惨な姿です。それは必ずしも、実際の言葉や行いとなってあらわれていないかもしれません。自分の思いとして自覚されることさえないかもしれません。しかし、自分の自由のままに任せられれば、愛とは正反対のどこに向かっていくかわかりません。ここにわたしたちの心の悲惨な姿があります。



問4 神の律法はわたしたちに何を求めていますか。


答 それについてキリストは、マタイによる福音書22章で、次のように要約して教えておられます。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」




問5 あなたはこれらすべてのことを完全に行うことができますか。


答 できません。
 なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです。



信仰問答の第五問は、神の律法によって気づくべき悲惨を次のように示します。「わたしは神と隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている。」このことに気づくことこそ、キリストのものとされるために知らなければならない第一のことです。自分の心がどんなに貧しい姿をしているかを知る人々は幸いです。キリストの救いはそのような人々のものです。 

問8 それでは、どのような善に対しても全く不能で、あらゆる悪に傾いているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。


答 そうです。
 わたしたちが神の御霊によって再生されない限りは。


▽問3「何によって・・・気づきますか。」


 神の律法によって、自分の悲惨に気づきます。「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。」(ローマ7:7)
しかし、人の誉れを求めて、心の外側をきれいにするだけなら、自分の悲惨に気づくことはないでしょう。

「あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」(マタイ23:25)

▽問5「神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている」


神と共に生きることができず、人と共に生きることが難しい理由が、ここにあります。

「その心は何にもましてとらえがたく病んで」おり、それに気づいた人は、こう叫ばざるをえませんでした。

「わたしは何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7:24)

主の霊と御言葉に導かれて、このように叫ぶのなら、それは決して絶望の叫びではありません。

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(ローマ10:13)

そして、この心が造り変えられたなら、神と共に生き、隣人と共に生きることもできるでしょう。