『ハイデルベルク信仰問答 問1-2』

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『ハイデルベルク信仰問答 問1-2』

『ハイデルベルク信仰問答 問1-2』
2012年4月15日(日)、2013年2月17日(日)、2013年10月27日(日)宗教改革記念礼拝、2013年11月3日
*今、祈祷会では、ハイデルベルク信仰問答を通して、入門的な福音の学びに取り組んでいます。問1の学びの内容を少し紹介してみます。どうか広く伝道に用いることのできる学びとして整えていくことができるようお祈りください。

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。 



わたしがわたし自身のものではなく、
身も魂も、生きるにも死ぬにも、
わたしの真実な救い主
イエス・キリストのものであることです。
この方は御自分の尊い血をもって、
わたしのすべての罪を完全に償い、
悪魔のあらゆる力からわたしを解き放ってくださいました。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、
髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、
わたしを守ってくださいます。
実に万事がわたしの益となるように働くのです。
そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、
今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、
またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。



これは、プロテスタントのキリスト教会に広く愛されてきた信仰問答の一つであるハイデルベルク信仰問答の第一問の問いです。

「生きるにも死ぬにも」と問うています。生きるだけではありません。死ぬときにも、これさえあればだいじょうぶだというものは何か、というのです。・・・ふつう、人々は多くのものを自分のもとに集めて、安心しようとするかもしれません。
 しかし、この問答は、違う道を行きます。「ただ一つの慰めは何ですか。」どんなときにもあなたを慰めて、もう一度立ち上がって生きることができるようにするただ一つの慰め、すなわちあなたの心に力を与えるものは何ですか。・・・死のほかに望み得ないようなときにも、すべての恐れや不安をあなたの心からすっかり取り去って、前へと進むことができるようにするただ一つの慰めはなんですか。問答の答はこうです。

「わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。」

生きるにも死ぬにも、キリストが私たちを御自分のものとして守ってくださいます。

「天にいます父の御旨でなければ、髪の毛一本も頭から落ちないほどにわたしを守って」くださるのです。これが、生きるにも死ぬにもただ一つの慰めです。



問2 この慰めの中で喜びに満ちて生き、また死ぬために、あなたはどれだけのことを知る必要がありますか。



三つのことです。

第一に、わたしの罪と悲惨がどれほど大きいか、

第二に、わたしのあらゆる罪と悲惨からどうすれば救われるのか、

第三に、そのような救いに対して、わたしはどのように神に感謝すべきか、ということです。



*この信仰問答において質問に答えているのは、言うまでもないことですが、信仰者です。信仰のない人々ではありません。このような信仰が真実に言い表されるようになるなら、そのような人々によって福音が伝えられていくのは、とても自然なことです。


「『わたしは信じた。それで、わたしは語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。」(第二コリント4:13)


「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」(第一ペトロ3:15)